1980年代後半から1990年代前半にかけてのイタリア旅行での体験を元にした雑記集(全15話)です。
第4話 「マドンナ」に捧げた花
第3話 折々のワイン 1 駅弁のワイン
第2話 海外での話し方講座
第1話 トリュフの舞い散る皿
**************************************
トスカーナ州の州都フィレンツェを出て、古都サンジミニャーノやシエナのあるトスカーナの野へ向かう。
その中継地とでも言うべきポッジボンシという街から南へ5キロほど。
バスに揺られて目指す街の新市街に着いた。
イタリア・トスカーナ地方の大地を占める緑なす丘陵地帯。
ゆったりとした"うねり"のある地形が果てしなく続いている。
ブドウやオリーブなどの畑が綴れ織のように見え隠れしている。
その中に絶妙な配置を見せる広葉樹や糸杉の間には、石造りの素朴な家々が寄り添う小さな村が点在する。
トスカーナの野は、エデンの園の名残ではないかと錯覚するほど美しい。
そんなトスカーナの一隅、コッレ・ディ・ヴァル・デルザという街にやってきた。
小さくて特徴のない街のようだから、おそらく日本のガイドブックには載っていないだろう。
フィレンツェから乗った中距離バスは、旧市街までは入らない。
バス停のある新市街から近道の急坂を登って辿り着いた旧市街。
その旧市街の狭いチェントロの近くに建つホテル・アルノルフォ。
その地下に、目的の"リストランテ・アルノルフォ"があった。
玄関から続く狭い階段を降りていくと、白く塗られた漆喰壁の部屋が広がる。
積み石が剥き出しになっている壁の方が私は好きなのだが
これはこれで、なかなか清楚で明るい雰囲気だ。
そのしばらく前…。
「おい、良い店があったよ」
私の恩師が、車で移動中に偶然立ち寄ったリストランテのことを語り出した。
語り終えるまで、料理にもワインにも賞賛の言葉しか使わなかった。
聞きながら次第に湧き上がってくる羨ましさと妬ましさ。
私の気持ちはすぐに固まった。
「先生、その店どこにあるんですか?」
「シエナからサンジミニャーノに向かう途中だった」
「街の名前は?」
「確か、コッレ…とか言ったな」
「店の名前は?」
「う〜ん…覚えてないな」
「街のどこに店があるんですか?」
「…」
恩師は、私から視線を外してつぶやいた。
「行けば誰でもすぐ分かるよ」
その言葉を信じて、街の場所だけを調べてやってきた。
泊まった新市街のホテルで「お勧めのレストランは?」と聞いてみた。
「アルノルフォ! リストランテ・アルノルフォ!」
円柱の体積を見つけるための式は何ですか?
間髪を入れずに答えが返ってきた。
呆気にとられるくらいの即答ぶりには、有無を言わせぬ説得力があった。
しかも、それ一軒しか答えなかった。
あまりの即答ぶりに私が立ち尽くしていると
受付の男性は私が聞き取れなかったと思ったらしく
紙片を取り出して店の名前を書いて渡してくれた。
目指す店は…そこ以外にはあり得ない。
紙片に書かれた"ARNOLFO"の文字を眺める私の耳に、そう直感が囁いた。
素晴らしかった!
ブゥォーノ!(美味しい) オッティモ!(美味しい) スクゥイジート!(美味しい)
褒め言葉を全部使っても足りないくらいだった。
アルノルフォの料理は、当時の私にとっては何もかもが意外の連続。
私がそれまで経験してきたイタリア料理は、例えれば中華料理のような感覚。
味にはこだわるが、盛り付けはおおらか。
早い話が、洒落た高級店には行ったことがなかった、ということなのだが。
目の前に供されたものは、味も盛り付けも極めて繊細。
洗練の上に洗練を重ね、徹底的に磨き上げたもののように感じた。
細部までよく手入れが行き届いたトスカーナの丘陵風景がオーバーラップする。
何の文句もつけようのない美味しい料理だった。
この料理なら恩師の絶賛ぶりにも納得がいく。
わざわざ探して行くだけの価値は充分ある。
来てよかった…。
心の底からそう思った。
しかし…
しかし、目当ての料理も素晴らしかったのだが、予想外の驚くような出会いがそこには待っていた。
ソムリエが持ってきたワインボトルを見て愕然とした。
一瞬にして神経が凍りついた。
ブ…ブルネッロ…。
ブルネッロ・ディ・モンタルチーノだった。
自ら指定するのは躊躇する、イタリアを代表する赤ワインであり、伝統のブランドワインだ。
オーダーしたわけではなく、お任せである。
だから値段は事前に確認していない。
見るからにお金のなさそうな若僧の東洋人であるのは、プロのソムリエなら見逃すはずはない…と思ったからだ。
おそらくこの店のカーヴにあるワインで最も手頃なものを出してくるだろう…と、当然のごとく予測していた。
手頃…とは言っても、ポリシーを持った店のようだから品質には自信を持っているはず。
キァンティ・クラシコかな、それともモンテプルチャーノあたりが出てくるかな…。
そんなことをつらつらと想像しながら、穏やかな気分で清楚な店内を眺めていたら
出てきたのは、泣く子も黙る天下のブルネッロ!
失神しそうだった。
地球の重量はどのくらい
いろいろなことが走馬灯のように頭をよぎった。
清楚で明るい店内から、一気に暗黒の宇宙空間へと放り出された気がした。
命綱が切れて宇宙空間に漂う、置き去りにされた宇宙飛行士のような気分になった。
どうする?…俺。
もう一人の自分が、顔を引きつらせながら私に詰め寄った。
どうする…と言われても…。
出てきてしまったのだから、ここはもう腹を決めるしかない。
やめる、とは言い出しにくい。
度胸も語学力もない。
しかし、もし別のワインと交換できたとしても…
私の性格は私が一番よく知っている。
後々きっと後悔するだろう。
「あのブルネッロを飲んでみたかった…」
思い出すたびに、絶対後悔するに違いない。
自分からブルネッロを注文する、あるいはお任せでブルネッロが出てくる…
そのようなことは、今後二度と起こりえないだろう。
めったにない機会だし、まさか最高級品を持ってくるはずもない。
どのみちロマネ・コンティとは値段の桁が違うのだ。
そう自分を説得した。
そして決断…
いや、諦めたという方が正確だろうか。
諦める者は救われる。
ソムリエが慣れた手つきでコルクを抜き終わる頃には
私は暗黒の宇宙空間から明るい店内に戻っていた。
ラベルには、「LA CASA(ラ・カーサ)」と大書きしてある。
カーサ?…ハウスワイン?
イタリア語でハウスワインはヴィーノ・デッラ・カーサと言うのだが
高級ワインとして実力も伝統もあるブルネッロが?
ワインのラベルに「カーサ」と書いてあれば、真っ先にハウスワインを連想してしまう程度の語学力なのだ。
ジョボボボボ…。
濃い赤紫の液体が大き目のワイングラスに落下していく。
グラスの底で薄紫の泡が立った。
ドキドキしながらグラスの柄に手を伸ばした。
グラスの縁に口をつけた途端、充満していた香りが私の鼻を突き抜けた。
赤ワインの、アルコールを含んだ濃い香気に襲われて、一瞬だけ頭がクラッとするこの瞬間が私は好きだ。
ゆっくりとグラスの柄を上に持ち上げた。
赤紫の液体が、妙なる香りを引き連れて、徐々に私の口に近づいてきた。
一口飲んで驚嘆した!
旅の疲れから急速に覚醒していくのが分かった。
雑味の全くない、透明感だけを選りすぐって瓶詰めにしたようなものだった。
ソムリエのような表現ができない私には、こう言うしかない。
「恐ろしく美味しい!」
私の知っているイタリアワインとは…全然違った。
こんなものもあるのかと、ため息が出るばかりだった…。
測定されることはありませんいくつかのプロパティは何ですか
トスカーナのワインは、イタリアで広く栽培されているサンジョヴェーゼ種というブドウを使うものが多い。
ブルネッロは、その突然変異種であるサンジョヴェーゼ・グロッソ(ブルネッロ種)を使って
1888年にトスカーナ州の古都シエーナの南東約30キロにあるモンタルチーノ村で誕生した。
誕生させたのは、現在でもブルネッロのトップブランドであるビオンディ・サンティ家。
今でもブルネッロを名乗るためには、ビオンディ・サンティ家が選んだ樹(の子孫)を使うことが法律で決められているという。
かつてヨーロッパのワイン造りに壊滅的な被害をもたらした病虫害フィロキセラ。
フィロキセラに弱いヨーロッパ原産のブドウの中でも、比較的強いのがサンジョヴェーゼ・グロッソの特徴でもあった。
ところが、病虫害に強いサンジョヴェーゼ・グロッソは濃厚で良質な果汁を持つ反面
それが仇となって、出来上がったワインは相当味がキツかったらしい。
そこで北イタリア・ピエモンテ州の銘酒バローロで使われていたオーク樽による熟成方法が採用された。
そうして、ブルネッロの輝かしい歴史が始まったようである。
そしてトスカーナでは、厳格な格付けの規格を守り伝統的な製法を継承する一方で
近年評価が一気に高まった「スーペル・トスカーナ」と呼ばれるワイン群のように
法律や格付けの規格に囚われない自由で上質なワイン造りを目指す意欲も旺盛である。
そういう前向きなトスカーナの答えの一つが、この一滴の中に込められているような気がした。
6万リラ(当時の通貨はリラ、約6000円)は、ブルネッロとしては高い方ではないと思うが
ハウスワインだとしたらあまりに破格だから、これはやはり商品名なのだろうか。
高かった…。(因みに、料理も6万リラのコース)
けれど飲んでよかった。
正直にそう思えた。
アルノルフォの料理が極めつけのトスカーナの風景だとしたら
「ラ・カーサ」は、そこに点在する糸杉の根元から湧き出る甘露だと例えたくなる。
旅先で出会うワインは、どれも一期一会である。
特定の銘柄を指名することなど、まず私はしない。
食事に添えるワインは、ほとんどハウスワインの類である。
今回もワインを探してこの街に来たのではなかった。
ブルネッロをはじめとするトスカーナ伝統のワインやスーペル・トスカーナに
どれほど優品が揃っているのか私には分からない。
トスカーナワイン通に言わせれば、「ラ・カーサ」はそれほどでもないよと言うかもしれない。
しかし、こういう予期せぬ出会いがなければ、果たしてここまで感動できたかどうか。
「出会いがしら」と言えるような衝撃的な出会いが、忘れ得ぬ感動と印象をもたらすのではないだろうか。
それにしても、このワイン…。
しばし沈黙。
---------------------
因みに
アルノルフォという名前は、この街出身の彫刻家アルノルフォ・ディ・カンビオから取ったものだという。
13世紀末、フィレンツェのドゥォーモ、サンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂を建設するにあたり
当時最も名を馳せていた彫刻家アルノルフォに設計が委ねられた。
彼のプランは現在のものより少し規模が小さかったが、基本形はほぼ同じだったらしい。
しかし8年後にアルノルフォは死去。
その後を受け継いだ彫刻家で建築家のフランチェスコ・タレンティが現在の大きさに拡張したのだそうだ。
この他、同じくフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂もアルノルフォの設計によるものと言われている。
もう一つ
この街はクリスタルで有名なのだそうだ。
後年、ワイングラスを一つ入手したのだが
その箱にはコッレ・ディ・ヴァル・デルザ製だと書いてあった。
**************************************
後日談
アルノルフォではシェフと少しだけ話ができました。
イタリア語の不自由な私の"勘ピュータ"が翻訳したところによると
シエナで料理学校の講師もしているとのことでした。
そして、一年後に日本のレストランに招待されて、一週間ほど滞在して料理を作る予定があるとか…。
池袋駅西口に近いイタリア料理店だったと記憶していますが
もちろん私は恩師や友人たちを誘って出かけました。
ドルチェが終わり、シェフが客席を回った時
握手をしながら「去年、トスカーナの店に行きましたよ」と言った(つもり)のですが
どうやら私のことは覚えていないようでした。
それでも再び日本で会うことができた奇縁に、楽しいひとときを過ごせたのでした。
…あれから20年。
1ヶ月ほど前、インターネットで初めてアルノルフォを検索してみました。
店名が、アルノルフォ・リストランテ Arnolfo Ristorante と変更されたようです。
トスカーナ州シエーナ県では唯一、ミシュランで☆☆を獲得したそうです。
そして、住所が少しだけ変わっていました。
元の店の近所に移転したようです。
シェフは、その後も何度か日本のレストランに招待されているようです。
アルノルフォを訪れる日本人も結構いるようです。
日本に縁が深いせいか、何とそのホームページには日本語版もありました!
アルノルフォ・リストランテ ホームページ
アルノルフォ・リストランテの場所(グーグルマップ)
そして、「ラ・カーサ」の正体も判りました。
モンタルチーノ北部の「テヌータ・カパルツォ(Tenuta Caparzo)」という醸造所の製品でした。
ブルネッロやロッソ・ディ・モンタルチーノなどの赤ワインのみならず、白ワインでも定評のある醸造所なのだそうです。
案の定…
その後私はブルネッロを一度も口にできていません。
今後二度と起こりえないだろう…という私の予測は、見事に的中したようです。
-------------- Ichiro Futatsugi.■
0 件のコメント:
コメントを投稿